【コラム】森林たくみ塾の役割

かつて、オークヴィレッジ通信に理事長が寄稿していた文章を読み返してみると、今でも森林たくみ塾の目指しているものは変わらない。そこで、改めて掲載してみようと思う。

(オークヴィレッジ通信2004年10月号より)

 

たくみへの道 2004年10月    佃 正壽 文

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森林たくみ塾の役割

 

よく、なんですか?と聞き返されることがある。また、領収書の宛先を説明するときには自ら、学習塾の塾です、と言っていたりする。この「」という存在は社会的にはどのようなものなのか。 

 

仮に、全てが官製の教育機関になったら、国家統制そのものになってしまう。そうしないためには、そこに私製の持つ多様な質が絡む必要がある。さらには何と言っても教育を実現させるための「システム」の問題でもあるということだ。多様性の確保には、官製のシステムだけでなく、私製の「もうひとつのシステム」が必要なのだ。フリースクールは、そこにおける一つのあり方だと思う。塾はこのフリースクールなどと一緒に、「もうひとつのシステム」を構成するものだ、と私は考えている。

 

塾の社会的存在の考察は、研究者である奈良本辰也氏が詳しい。社会科学者・鶴見俊輔氏との対談を少し引用する。

 

「中世のころ。仏教的な世界観が崩壊して新しい儒教倫理というのが出てくる。その時代の要請に応えようとたくさん私塾ができる。・・・しかし、蘭学塾は出世しない。吉田松陰の塾も出世なし。つまり、アンチ官学はライセンスにならない。昌平黌や藩校では身分差別があって藩士でないと入れなかった。だから伊藤博文、山県有朋らは松下村塾で学んだ。適塾では先生に会うことなく去っていくものも多い。しかし、適塾に学んだということに非常なほこりを持ち、自分の支えとして地方で医者になった人は無数にいた。・・・私塾というのは、次元の違ったものを作っていかなきゃしょうがない。(奈良本辰也)」

 

「東大でも学ぶことのできない種目だから、ものすごい自発的な意志が働く。教師も何とか伝えたいと思っているし、生徒も何とか学びたいと思っている。(鶴見俊輔)」(以上、晶文社刊「学ぶとは何だろう」より)

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市場経済には、デファクトスタンダードというものがある。乱暴な言い方をすれば、強いものが勝つ、だ。しかし教育でそれはまずい。教育の機会と選択には、常に多様性が保たれる必要がある。大多数の人は、進学校~一流大学~一流企業というシステムに、さすがに幻想を持っていないと思うが、それに変わるシステムを私たちは見い出しているだろうか?

 

話は飛躍するが、たとえば地球環境の行く末を案じ、何らかの行動をするときに必要な知識、技術、知恵、行動力はどこで身に付けられるだろうか?少なくとも従来のシステムだけでは解決できないのは明白だ。たとえば循環的資源の筆頭である木の使い方を学ぶにはどうするか?そう思われたなら、「森林たくみ塾」にぜひ来てほしい。そこに私たちの「もうひとつのシステム」を担っていくべき役割がある、と思っている。